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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)15082号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、金一八〇九万六八六二円及びこれに対する昭和五七年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は東京女子医科大学病院及び同大学附属日本心臓血圧研究所(以下両者を包括して被告病院という)を設置しているもの、原告らは昭和五七年八月一一日に被告病院において死亡した訴外鈴木隆弘(以下隆弘という)の父母である。

2  診療、検査経過

隆弘には先天性の心疾患であるファロー四徴症があり、そのため、次のような経過で治療、検査を受けることとなつた。

すなわち、同人は昭和五五年二月一〇日に原告らの次男として東京都品川区の関東逓信病院で出生したが、同人には、生後三日ころから心雑音が出現し、同年六月ころからチアノーゼが出現するようになつた。そのため、隆弘は、当初は右病院に、昭和五五年一二月一五日からは被告病院に通院するようになり、被告病院で担当医師の訴外高尾篤良(以下高尾医師という)からファロー四徴症である旨の診断を受けた。隆弘は被告病院へ一ないし三か月に一回程度の割合で合計約一〇回通院を続けたが、昭和五七年四月七日、高尾医師からファロー四徴症の診断のため心臓カテーテル検査を受けるよう指導され、同年七月二三日、同検査を受けるため被告病院に入院し、ここに被告と原告らとの間に隆弘の診療に関する契約が成立した。なお、入院時、隆弘は、満二年五月で、身長八一・五センチメートル、体重九・五キログラムであつた。心臓カテーテル検査に先立ち、原告らは高尾医師から心臓カテーテル法の説明を受け、原告鈴木孝雄が承諾書を作成した。

隆弘の心臓カテーテル検査は、同年八月二日にいずれも被告病院医師の訴外高橋良明(以下高橋医師という)、同西畠信(以下西畠医師という)ほか一名により行われる予定であつたが、その当日、風邪のため隆弘に咳、発熱、軟便の症状が現れたため、高尾医師の診察の結果、検査を延期することが決定された。そこで、隆弘は一時外泊した後、同月九日に帰院した。翌一〇日において、隆弘には下痢が続いており、体温は三七・五度であつた。

以上の経緯を経て、隆弘の心臓カテーテル検査は、昭和五七年八月一一日午前八時四五分ころから一一時四五分ころまでの間、いずれも被告職員で被告病院に所属する医師である前記西畠医師及び訴外清水隆(以下清水医師という)によつて行われた(この具体的経過は後記4のとおり。以下これを本件検査という)。

しかし、隆弘は、検査終了後そのまま被告病院小児病棟監視室に移され、さらに、同日午後四時三〇分ころ同病院ICUへ転床された後、同日午後一〇時三三分ころ同所で死亡した。高橋医師作成の死亡診断書によれば、隆弘の直接死因は心機能不全であつた。

3  ファロー四徴症及び心臓カテーテル法

(一) ファロー四徴症

ファロー四徴症は、先天性心疾患の一種で、疾患の内容として肺動脈狭窄、心室中隔欠損、大動脈騎乗、右心室肥大を、主症状としてチアノーゼ、運動量低下、発育障害等を有するもので、同疾患に係る手術には、鎖骨下動脈と肺動脈とをつなぐpalliative operation(短絡手術)と、心室中隔欠損を閉鎖し、肺動脈狭窄を拡大するradical operation(根治手術)の二種があつて、後者は前者より根治的な手術である。

同疾患は、心疾患の中では極くありふれたものである。その患者のうち、非常な重症者は乳幼児期に死亡することが多く、外科的治療を行わない患者の平均寿命は十数歳であると言われているが、肺動脈狭窄が軽く、心室中隔欠損があまり大きくない患者は、手術によつて殆ど健常者と同様に生活できるようになる。すなわち、右二種の手術のうち、後者においても、これにより疾患が全部解消されるわけではなく、重症者では手術後も合併症後遺症を伴うことがあるが、しかし、後者の手術が後遺症に十分注意してなされれば、術後の患者の状態に大きな支障を残すことはなく、その結果、軽症者の場合には、健常者同様の生活が期待できるようになり、重症者の場合でも、日常生活に支障を生ずることのない程度の状態になつて、中には、妊娠、出産を無事経過するに至る例も少なくない。

(二) 心臓カテーテル法

心臓カテーテル検査は、末梢血管から心臓内へカテーテルを挿入して心臓の血行動態及び機能形態を調べる検査である。

同検査には、一般に、カテーテルを右心系に挿入するもの(右心カテーテル)と左心系に挿入するもの(左心カテーテル)がある。

4  本件検査及びその後の処置

(一) 本件検査においては、当初、右心カテーテルが行われたが、この方法では検査所期の目的が達せられなかつたため、急きよ、左心カテーテルが、さらに、再度の右心カテーテルが行われ、その後、年前一〇時三六分、右心カテーテルを一時中止して右心室造影のための造影剤注入が行われた。

(二) ところが、右過程の途中、カテーテルの先端の動きが右心室の心膜を刺激したことがあり、その結果、心室頻拍、心室細動などの生体反応が生じた。

(三) また、右過程の途中、カテーテルの先端が右心室を穿孔したことがあり、その結果、心嚢内に出血が生じ、心タンポナーデとなつた。さらに、右のとおり注入された造影剤のうち、一部は右心室流出路の壁内に注入され、一部は右の穿孔部を経て心嚢内に流入した。

(四) 以上の事情に、検査が右経過を辿つて長時間に及び、隆弘の身体に大きな負担が掛つたことが加わり、隆弘に、心室性期外収縮、血圧低下などのショック症状が現れ、隆弘の唇は蒼白でチアノーゼ様を呈するに至つた。

両医師は、右造影後、右のとおり右心室流出路や心嚢内に造影剤の残留があるのを知り、カテーテル内の残留造影剤を押し出してみて、これが心嚢内に流れるのを認め、さらに、右チアノーゼ等の症状が現れた時点では、それらの症状も認めた。しかし、両医師は、右の事態は壁内注入であつて、穿孔ではないものと判断し、そのため、心タンポナーデへの対応処置はしなかつた(なお、後に、隆弘を開胸したところ、右心室流出路に近い部位に少なくとも二〇ミリリットルを下らない量の血腫が認められた)。

(五) 隆弘は、以上の結果である心不全により死亡した。

5  責任原因

(一) 本件検査及びこれに続く処置は、原告らと被告との診療契約債務の履行として同債務の履行を補助する西畠、清水両医師により行われたものであり、かつ、被告職員である両医師により被告の事業の執行として行われたものである。

しかして、両医師には、本件検査の履行に際し、(二)以下のとおりの過失があり、隆弘はその結果として心機能不全により死亡するに至つたのであるから、被告は隆弘の死亡につき隆弘ないし原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。

(二) カテーテルの操作により心臓内の中隔壁等を刺激、穿孔した過失

本件検査において、両医師は、カテーテルの操作に際し、誤つて、カテーテルにより心臓内の中隔壁等を刺激したり、穿孔したりすることのないよう、また、造影剤の注入に際し、その注入圧力が大きくならないよう配慮すべき注意義務を有していた。しかるに、両医師は、右義務に反し、カテーテルの操作に必要な注意を怠り、また、造影剤の注入に際し当初の計画より短時間で、隆弘の体重(入院時に九・五キログラム。その後の下痢のため、より減少していた可能性もある)に比して多めの注入を行つた。このため、カテーテルが、右不適切な操作や大きな圧力の注入による反動により、不適切な動きをする事態が生じ、その結果、カテーテルが右心室内を刺激、穿孔して心臓内に出血を生じさせ、隆弘が死亡するに至つた。

(三) 救急処置を怠つた過失

本件検査において、前記4(四)の時点においては、両医師は、隆弘の心臓に造影剤が残留し、その唇が蒼白でチアノーゼ様を呈していることを認めていたのであるし、さらに、一般に心臓カテーテルに要する時間は帰室までおおむね二時間であるところ、本件ではすでに長時間を要していたことなど本件検査の経過をも考慮すれば、隆弘に異常が生じていることは明白で、ショックや心タンポナーデが疑われる状態であつた。他方、穿孔等の合併症は、発生後直ちに適切な処置をとれば死亡の結果を生ずることのないものである。したがつて、本件検査において、両医師としては、右時点において、直ちに適切な救急処置をとつて、死を招来するような結果を回避すべき義務があつた。しかるに、両医師は、これを怠り、適切な処置を欠いた結果、隆弘は死亡させるに至つた。

(四) なお、本件検査には次のとおりの事情があり、これに照らすと、両医師の右(二)(三)の注意事務(及びその不履行)は特に高度のものであつたというべきである。

(1) 前記2のとおり、本件検査は、当初、昭和五七年八月二日に行われる予定のものが、検査予定日当日になつて、風邪のため隆弘に咳、発熱、軟便の症状が現れたため延期されたものである。しかるに、本件検査の前日にも下痢は続いており、熱も三七度五分であつて、このことは、西畠医師も看護記録を見て知つていた。

(2) 一般に、左心系にカテーテルを入れることは右心系にカテーテルを入れることに比して患者の負担が大きく、また、右心系、左心系の双方にカテーテルを使用することは検査時間の観点からもかなりの負担を強いるものである。しかるに、本件においては、右4(一)のとおり、右心カテーテルに引き続き左心カテーテルが行われ、さらに、再度の右心カテーテルが行われていた。

なお、そもそも、本件においては、隆弘のファロー四徴症は軽度のもので、検査としては右心室の選択造影をすれば十分であつて、左心系にカテーテルを入れて検査(大動脈造影など)をする必要性は乏しかつた。

(3) 心臓カテーテル検査において、心臓の血行動態及び機能形態を映像にする方法としては、造影剤を使用する方法とラジオアイソトープを使用する方法とがあるが、造影剤の注入は大きな圧力を要するため、カテーテルの先端が動く可能性があり、そのため、検査時に造影剤が壁内に注入されたり、穿孔部を経て心嚢内に流出したりする危検性があるから、前者の方法は、その必要性がない限り、行われるべきではない。しかるに、本件においては、前者の方法による検査が行われた。

(4) そもそも、心臓カテーテル検査は、本来、その後に施行される外科手術の安全性と効果を高めるための検査として行われるものであるから、それにより死亡の結果を招来して外科手術自体を不能にするような結果を生じてはならないことはいうまでもない。また、同検査は、被告病院では日常行われており、十分な注意をもつてすれば死を招来する危険のないものであつて、実際にも、同検査での死亡例は、乳児の場合や時期を選べないほどの重症の場合の例を除くと、二歳を超える患者については、医師の過失による例以外にはあり得ないといつてよい。その他、本件検査開始から隆弘の死亡に至る時間的経過に照らしても、隆弘の死因が本件検査にあることは明らかである。

6  損害

(一) 逸失利益 総額金一五七九万三七二四円(原告ら各自金七八九万六八六二円)

隆弘は、死亡当時満二歳の男児であつたところ、前記ファロー四徴症を有するものの、これは前記3(一)のとおり根治手術により健常者同様の健康状態を実現することの可能な疾患であつたし、また、同年代の普通の子と比べれば小さい方であつたものの、満一年八月で歩行を始め、被告病院入院当時には身長八一・五センチメートル、体重九・五キログラムまで成長しているなど、右疾患の点を除けば順調に育つていた。したがつて、同人は、本件検査により死亡することがなければ、将来の根治手術により健常者同様の健康状態に至り、満一八歳に達する一六年後から満六七歳に達する六五年後までの四九年間就労して、この間、男子労働者の平均的収入を得ることができたはずである。そこで、昭和五七年度賃金センサスの男子労働者、産業計、企業規模計平均賃金の年間合計三七九万五二〇〇円を基礎とし、その五割を生活費として控除し、年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式(係数八・三二三)により控除して計算すると、隆弘の死亡による逸失利益の右死亡当時の現価は金一五七九万三七二四円となる。

原告らは各自、隆弘に生じた右損害にかかる賠償請求権の二分の一に相当する金七八九万六八六二万を相続した。

(計算式) 3、795、200×(50÷100)×8、323=15、793、724 15、793、725÷2=7、896、862

(二) 葬儀費用 総額金七〇万円(原告ら各自金三五万円)

(三) 慰謝料 原告ら各自金七五〇万円

隆弘が、ファロー四徴症の点を除けば順調に成長してきた子であつたこと、原告らとしては、本件検査に先立つてこれに危険性があるとの説明を受けたことがなく、本件検査を治療の前提措置と考えて隆弘の死亡する可能性を全く考えていなかつたところ、本件検査における予想外の事態のため、突然に隆弘を失う結果となつたことなどの事情を斟酌した上、隆弘の死亡につき隆弘や原告らに生じた精神的苦痛を慰謝するに相当な金額を評価し、隆弘につき生じて原告らに二分の一ずつ相続された慰謝料請求権と原告ら各自につき生じた慰謝料請求権を合わせ考慮すれば、原告らの有する慰謝料請求権は各自金七五〇万円を下らない。

(四) 弁護士費用 総額金四七〇万円(原告ら各自金二三五万円)

(五) 以上合計(請求金額)原告ら各自金一八〇九万六八六二円

よつて、原告らは各自、被告に対し、主位的に債務不履行、予備的に不法行為により損害賠償金一八〇九万六八六二円及びこれに対する損害発生(隆弘の死亡)の日の翌日である昭和五七年八月一二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)、同2(診療、検査結果)の事実は認める。

2  同3(ファロー四徴症及び心臓カテーテル法)の事実について

(一) 同3(一)の前段は認め、後段は否認する。

(二) 同3(二)の前段は認め、後段の用語法は争う。

原告主張のとおり、一般に、心臓カテーテル検査において、カテーテルを右心房、右心室、肺動脈等の右心系に挿入するものを右心カテーテル、大動脈、左心房、左心室等の左心系に挿入するものを左心カテーテルということがある。しかし、左心系のうち大動脈内のみでカテーテルを操作するものは、大動脈カテーテル、大動脈造影というのが通常である。また、本件疾患のような心奇形においては、右心系に挿入したカテーテルを、心臓の騎乗、欠損部分を通じて、右心室から直接に大動脈へ挿入することができることがあり、このようにしてカテーテルを左心系に挿入する方法をも左心カテーテルと呼ぶのは正確でない。

4  同4(本件検査及びその後の処置)の(一)ないし(四)の事実中、右心カテーテルが行われたこと、右心室造影のための造影剤注入が行われたこと、右心室流出路前壁に壁内注入と思われる造影剤が認められたこと、隆弘に心室性期外収縮の症状が現れたこと、両医師は右事態は穿孔ではないと断定したことは認め、その余は否認する。

5  同5(責任原因)の事実中、(一)は前段は認め、後段は否認し、(二)ないし(四)は争う。

なお、5(四)のうち、(2)については、心臓カテーテルの方法は、前記2(二)のとおりであるが、本件検査で行われたのは、右心カテーテル及びこれに続く大動脈カテーテル、大動脈造影であつて、左心カテーテルは行われていない。また、通常、右心カテーテルのみの検査を行う場合でも、動脈を穿刺したり、カテーテルを動脈系に入れたりして動脈系の情報(大動脈、股動脈などの圧、酸素含量など)を得ることがなければ、検査は不十分なものとなるのであり、そのような事態を避けるため、たとえば、ファロー四徴症患者の場合には、疾患部を通じてカテーテルを右心室から大動脈に入れるか、それが容易にできない場合には、末梢動脈にカテーテルを挿入するかして、大動脈や冠動脈を造影したり、大動脈圧や酸素含量を測定したりするのは通常の手技、手順である。

また、5(四)のうち、(3)については、ラジオアイソトープのみによる検査では、右心室流出路、肺動脈主幹部、分岐部、末梢の解剖学形態を可視化することができず、心内修復を安全に行うために必要な情報が得られず、手術計画が乱暴、粗雑となり、危険も増加するのであつて、実際にも、国内外の成績優秀な心臓センターで、血管内造影を行わずアイソトープのみで心臓修復を行つているところはない。

6  同6(損害)の事実は争う。

三  抗弁

1  ファロー四徴症及び心臓カテーテル法

(一) ファロー四徴症(請求原因3(一)、5(四)(2)、6(一)に対する)

ファロー四徴症疾患は、チアノーゼを伴う先天性心奇形の中では比較的ありふれたものであるが、心臓疾患一般の中で極くありふれたものではなく、その患者のうち、非常に重症のものは乳幼児期に死亡し、それほど重症でなくとも平均寿命は十数歳と言われ、一〇歳を過ぎると心筋線維化、冠血管障害、腎障害、脳血管障害を起こす危険が高くなり、脳腫瘍を起こす危険も常にある。原告主張の二種の手術のうち、後者も疾患を根本的に治すものではなく(ここにいうradicalとは、根治という意味ではない)、術後に創痕を残し、何らかの合併症、残遺症、続発症を伴うことが少なくない。一般に、術前は身体障害者障害程度等級一ないし三級、後者の術後でも同三ないし四級に該当し、生涯病として健康管理を要する。

とくに、隆弘のファロー四徴症は、症状としても、歩くとしやがみこんだり、走り回ると呼吸困難になつたりするという、体動の制限があり、幼児期に手術を必要とするものであつて、疾患としても、右心室流出路漏斗部狭窄のほか肺動脈弁上狭窄を伴うものであつて、その罹患度は中等症と分類されるものであつた。

(二) 心臓カテーテル法(請求原因3(二)、5(四)(2)(4)に対する)

心臓カテーテル検査は、血行動態検査と造影検査を組み合わせたもので、これにより心臓外科手術の適応性の判断や、時期、手術手技の選択上重要な情報を得ることができる。

ファロー四徴症の患者に対する手術を考慮するに際しては、心内修復の可能性、狭窄切除部分の同定、切開部の選択等をして適切な手術操作を計画、実施するため、本件検査のような侵襲検査により心臓内の解剖学的診断を得ることが重要である。そこで、本件検査は、不可避な危険を有するものの、外科手術の安全性や効果を高める必要性から、外科手術が予定されている場合には、その必須前段階として行われるのが通例であり、通常チアノーゼのある小児全例について行われている(心臓カテーテル、血管内造影法を経ずに手術をすることは、可能であるとしても、手術の危険度や手術が不十分となる確率性を高くするものであつて、一般には採用されていない)。本件検査も、隆弘に将来、radical operationを行うことを考慮するために、必須のものとして行われた。

2  本件検査の経過(請求原因4(一)ないし(三)、五(二)に対する)

本件検査は、隆弘に対し、将来の心内修復の必須の前提として、いわゆる右心系のほか、系統動脈系の血圧、酸素量や、大動脈、冠動脈の形態、血行動態をも知ることを目的として行われたもので、その経過は次のとおりであつて、その検査経緯に、過失はない。

隆弘の右股静脈を穿刺し、同所からカテーテルを挿入し、透視下でカテーテルを下大静脈経由で心臓に進め、カテーテルの先端を右心房に入れ、そこから上大静脈の方向や、右心室流入路、右心室流出路ないし右心室心尖部の方向へと各方向、各心腔にカテーテルの先端を進め、各腔内の圧と酸素量を測定し、その後、右心室内造影のため、カテーテルの先端の側孔から右心室内に造影剤を注入した。造影の際には、カテーテルの先端が最も適切、安全な位置に来るような状態にし、まず、造影剤二ミリリットルを手動で注入し、透視下でカテーテルの先端の位置が適切であるかどうかを確認し、また、心電図モニターで心室性期外収縮が起こつていないかどうかを確認するという作業を二回繰り返し、造影剤が心筋壁に残留していないことを確認したうえ、造影剤二〇ミリリットルを、器械により毎秒一三ミリリットルの速度で注入した。造影剤は、注入された右心室から、右心室流出路、肺動脈、心室中隔欠損を順次経由して大動脈へと流れ、この状態がカットフィルムで撮影された。

その後、透視下で右心室流出路に少量の造影剤が残つているのが認められ、また、右カットフィルム上に右心室流出路前壁内注入と思われる造影剤が認められた。

3  本件検査後の措置(請求原因4(四)、5(三)に対する)

本件検査後、被告病院においてなされた措置は次のとおりであり、被告病院に過失はない。

右2の残留造影剤は少量で、血圧、心電図も正常値を示しており、通常は患者の血流により造影剤が洗い流されることが多いような状態であつた。また、午前一一時に心カテーテル検査が終わつた後、心室性期外収縮が出現し、血圧は良かつたものの末梢循環不全があつて、循環動態の不安定性が予想されたため、両医師は、慎重を期して集中管理を行つた後、血圧が引き続き安定し、心電図も正常洞調律であることを確かめて、隆弘を一一時四五分ころ被告病院小児病棟監視室に移した。なお、両医師は、隆弘を監視室に移す前に中心静脈圧を測定しており、また、移動の際にも輸液ルート確保のため股静脈にエラスター針を留置しておいた。

被告病院では、その後、隆弘に対し、血圧測定、心電図モニターによる測定、胸部レントゲン撮影等による全身管理を行うとともに、酸素テント使用、鎮静剤投与をなした。しかし、一二時二五分過ぎに隆弘に血圧低下、徐脈、低酸素血症増悪などの症状が現れた。そこで、心臓マッサージ、酸素マスクによる加圧呼吸、気管内挿管を行い、心臓刺激剤を用いるなど、救急蘇生術を施したが、回復しないので、開胸し、心膜を開いたところ、間もなく、心拍数が上昇し、心電図波形もほぼ正常に近くなつた。開胸の結果、右心室流出路に近い部位の臓内心膜内側にかなりの量の血腫が認められたが、その当時、心電図はほぼ正常化しており、血圧も六八ミリグラム水銀柱まで回復し、利尿も認められたので、一度、皮膚、心膜を閉じた。その後、ICUへの転床を準備していたところ、心電図のSTSegment低下が徐々に著明となり、徐脈となつた。そこで、心マッサージを、まず、閉胸で、次いで開胸で行つたが、心室細動が続き、この状態は、薬剤、電気ショック、バッグによる呼吸補助操作を施しても回復しなかつた。その後、午後四時三〇分にICUに転室させ、バッグによる呼吸補助操作をなし、午後五時五〇分からは心肺バイパス循環(ポンプ)を開始したが、やがて、心停止の状態となつた。その後もポンプを続けたところ、光反射、自発呼吸が出現したが、脳波は平坦であつて、脳死状態と認められるに至つた。被告病院では、その後もポンプを続けた後、一〇時三三分に隆弘の死亡を確認した。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1(当事者)、同2(診療、検査経過)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因3、5(四)(2)ないし(3)、抗弁1の事実(ファロー四徴症及び心臓カテーテル法)について

1  ファロー四徴症が先天性心疾患の一種であること、その疾患の内容、主症状、これに係る手術の種類、心臓カテーテル検査が末梢血管から心臓内へカテーテルを挿入し心臓の血行動態、機能形態を調べる検査であること、以上の事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実に、《証拠略》を総合すると、次の(一)、(二)の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) ファロー四徴症について

同疾患の概要は次のとおりである。すなわち、健常者の心臓では、全身から心臓に来た血液は大静脈から右心房、右心室を経て肺動脈へと流れ、心臓から肺へ行き(以上の系統を右心系という)、他方、肺から心臓に来た血液は左心房、左心室を経て大動脈へと流れ、心臓から全身へと行く(以上の系統を左心系という)のであつて、右心系と左心系は互いに独立し、両者間の血液の交通はない。これに対し、ファロー四徴症患者の心臓では、右心系と左心系の関係は、まず、右心室と左心室の間の隔壁に穴があり、血液の交通が可能になつている(心室中隔欠損)。また、左心系の大動脈が右心系方向にずれて位置し、両心室間の隔壁の上に乗りかかつていて、それゆえ前記心室中隔欠損が生じ、右心室内にある血液が心室中隔欠損部経由で大動脈内に流れ込み易くなつている(大動脈騎乗)。右心系においては、血液が心臓から出て行く肺動脈(とくに、出口付近の右心室流出路、漏斗部)が狭く、心臓から流出する血液の流れが悪くなつている(肺動脈狭窄)。さらに、以上の結果、右心系では、血液を肺動脈へ送り出すことは肺動脈狭窄のため困難であり、他方、血液を心室中隔欠損部経由で左心系へ送り出すにも左心系に劣らぬ圧力が必要であることから、右心系に要求される働きが大きく、そのため、右心室が肥大している(右心室肥大)。

同症の患者には何らかの手術が行われるのが通常で、患者が何ら手術を受けないで長年月生存する例は稀である。手術は大別して二種類あり、一つは、鎖骨下動脈と肺動脈とをつなぐもので(palliative operation)、一般に短絡手術ないし姑息手術と呼ばれており、一つは、心室中隔欠損を閉鎖し、肺動脈狭窄を拡大するもので(radical operation)、一般に根治手術ないし心内修復術と呼ばれている。後者は前者より相対的に根治的な手術で、通常は後者がよく行われるが、患者の年令や肺血管の発育状況によつては、まず、前者の手術を行つて肺の血流の量を多くし、機会を見て後者の手術を行うこととなる場合もある。なお、後者の手術でも何らかの遺残病変が残る例が多く、その程度は疾患の程度や術後管理状況にもよるが、多くの場合は学校における教科体育も中程度以上のものは禁止され、成人後の職業選択にも制限がある。

隆弘は中等度ないしそれ以上のファロー四徴症の典型で、幼児期か、少なくとも小学校低学年までに手術を行うべき適応になることが見込まれ、そのことは、本件検査前から理学的所見、心電図、心エコー図等により診断されていた。

(二) 心臓カテーテル法について

心臓カテーテル検査は、血行動態検査と造影検査を組み合わせたものである。その具体的方法は、カテーテルを血管内に挿入し、血管経由で心臓に進め、この間のカテーテルの進み方を観察し、血管及び心臓の心房、心室等において血液の圧力を測定し、カテーテルで血液を採取してその酸素濃度等を測定し、さらに、カテーテルでこれらの場所に造影剤を注入し、造影された像をレントゲン撮影して心臓内の形態を観察するというものである。これにより心臓外科手術の適応性の判断や、時期、手術手技の選択上重要な情報を得ることができる。

一般に、ファロー四徴症と考えられる患者に対し心内修復術を行うことを考慮する場合には、主たる病変の診断をつけ、疾患の程度を判断し、手術上必要な情報を得るため心臓カテーテル検査が行われるのが通常である。すなわち、ファロー四徴症患者に対する心臓カテーテルは、まず、合併心奇形の有無を確認するため、大静脈(上、下)、右心房、右心室、肺動脈とカテーテルを進め、これらの場所におけるカテーテルの動きをレントゲン透視によるモニターで観察し、また、それぞれの場所で圧力測定、血液採取をし、さらに、大動脈についても、右心室から心室中隔欠損部を経由するか、又は改めて末梢動脈(股動脈、腋窩動脈など)へカテーテルを挿入するかして、カテーテルの先端を大動脈に進め、形態観察、圧力測定、血液採取をする。これらの結果により、たとえば、右心室(ないし右心系)と左心室(ないし大動脈などの左心系)の圧力、血中酸素濃度の差異により心室中隔欠損の有無、程度を知ることができ、また、右心室造影により右心室(とくに、流出路)の形態観察ができ、さらに、ファロー四徴症患者には大動脈から分岐する冠状動脈に奇形のあることがあり、その奇形の有無に関する情報も手術時に有用であるところ、大動脈にカテーテルを入れることによりこのような情報も得られるのであり、これらは非侵襲的な検査である超音波診断等では十分な目的を達成できないものである(形態観察に際し、造影剤の代わりにラジオアイソトープを用いる方法も考えられるが、これでは心臓内の解剖学形態が十分に可視化できず、検査所期の目的が達成し難い。実際にも、国内外の成績優秀な心臓センターで造影を行わない例はない)。したがつて、心臓カテーテル検査は不可避な危険を有するものの、手術の安全性や効果を高めるため、手術の必須前段階として行われるのが通例である。

隆弘の場合、疾患がファロー四徴症であることは本件検査前から理学的所見等により明らかになつていたが、その程度を診断し、手術を安全、容易にするために必要な情報、とくに心臓の形態に関する情報や、合併の心奇形の有無などの情報を得るため、心臓カテーテルが必要であつた。

なお、カテーテルを血管、心臓内で操作する場合、その先端の方向を変えるため、心臓や血管の内壁に当てることがあるが、その際には、構造上危険な場所に当てないようにする配慮が必要であり、そのためには、透視下でカテーテルの動きを観察し、また、心電図により、心室内の壁に当たつたときに生ずる不整脈(心室性期外収縮など)などが出ないことを確認し、かつ、感触を確かめながら行うことが必要である。

三  請求原因4(一)ないし(四)、5(四)(1)、抗弁2、3の事実(本件検査及びその後の措置)について

1  請求原因4(一)ないし(四)、5(四)(1)の事実中、本件検査において隆弘に対し右心カテーテルが行われたこと、右心室造影のための造影剤注入が行われたこと、右心室流出路前壁に壁内注入と思われる造影剤が認められたこと、隆弘に心室性期外収縮の症状が現れたこと、両医師は右事態は穿孔ではないと判断したことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実及び前記一、二の認定事実に、《証拠略》を総合すると、本件検査及びその後の措置について、次の事実を認めることができる。

(一) 本件検査は、当初、昭和五七年八月二日実施予定で、隆弘は同日まで非侵襲的検査を受けていたが、発熱、下痢、上気道炎症を呈し、八月二日当日も微熱があつて正常と異常の境界にある状態であつたので、同日の検査は延期され、その後、検査日は同月一一日、主たる術者は西畠医師と決まつた。八月一一日の症状は、家族の説明、聴診等の理学的所見による限り、下痢ないし軟便が一回見られる程度のもので、本件検査に支障はなかつた。

(二) 検査担当医のうち、西畠医師は、本件検査当時、医師歴八年余で小児科(とくに、小児循環器科)専攻であり、心臓カテーテル検査に関与した経験は約三〇〇例、うち主たる術者を務めたものが一〇〇例強であつた。また、同医師は隆弘の入院時から同人の診察に当たつていた。

清水医師は、本件検査当時、医師歴五年余で小児科専攻であり、心臓カテーテル検査に関与した経験は約二五〇ないし三〇〇例、うち主たる術者を務めたものが一〇〇例強であつた。

(三) 検査前日の八月一〇日ないし検査当日の朝、関係医師による検討会が開かれ、あらかじめ担当医師がカルテに記載していた事項(検査が順調に進む場合の手順、造影剤注入量、注入速度等)を前提に手術プランが策定された。その結果、右心室の造影は連続写真撮影により行い、造影剤の注入量は二〇ミリリットル、注入速度は二秒ないしそれより速い程度とすること、大動脈の造影はシネ写真により行い、造影剤の注入量は一〇ミリリットルないしそれより多く、注入速度は二秒より速い程度とすること、これらの造影によつても右心室流出路から肺動脈付近の形態が十分観察できない場合には、さらに、カテーテル先端を右心室流出路に置いて造影剤注入を行うことなどが決められた。

(四) 本件検査に際し、術野に入つたのは、西畠、清水両医師のほか、麻酔担当の高見沢医師、検査担当技師、看護婦、放射線技師など若干名であつた。

検査に先立ち、隆弘の血液の凝固を抑制するヘパリンが投与され、所定の方法に従つて、カテーテルが隆弘の右股静脈に挿入された。その方法は、具体的には、まず、隆弘の右そけい部に、チューブ(筒)に入つた針をチューブごと差し込み、チューブを残して針を抜き、チューブを通してガイドワイヤーを挿入し、ガイトワイヤーを残してチューブを抜き、ガイドワイヤーに沿つてダイレーター(拡張器)を挿入し、これとともにダイレーターの外側にシース(鞘)を挿入するという方法で、シースを挿入し、これを通してカテーテルを挿入するというものであつた(挿入したシースでは、最大七フレンチサイズまでのカテーテルが利用可能であつたが、両医師は、カテーテル操作を容易にし、隆弘への侵襲を小さくするため、カテーテルには六フレンチサイズのものを使用した)。

両医師は、右股静脈内に挿入したカテーテルを、股静脈、下大動脈経由で心臓付近まで進めた。その後、上大動脈付近の奇形の有無等を確認するため、カテーテルをまず上大動脈に進め、同所で圧力測定、血液採取をし、透視下でカテーテル先端の動きを観察して、同所付近に心奇形がなく、カテーテル操作上問題のないことを確認した。次に、カテーテルを右心房、右心室に進め、それぞれの場所で圧力測定、血液採取をした。なお、カテーテルをそれ以上進めて右心室流出路から肺動脈に入れることについては、隆弘の流出路狭窄が著しく、ここにカテーテルを通すと血液の流れが悪化したり、流出路付近を刺激して無酸素発作等を起こしたりする可能性があつて、同種症例においては通常行われていないこと、また、これにより得られる情報もあまり重要でないことから、行わなかつた。ところで、本件では、カテーテルの先端を大動脈内に入れて検査する必要があつた(大動脈の情報は、隆弘に将来手術を施す際に有益なもので、本件検査所期の目的を達成するため必要である)。そこで、まず、右心室のカテーテルを、そのまま心室中隔欠損部経由で大動脈内に挿入することを試みた。ところが、これを数回試みたところ、カテーテルが刺激伝導系(心臓の収縮を支配する刺激を伝導するもの)に触れたためか、房室乖離(不整脈の一種で、心房と心室が別々に収縮する現象)が出現した。そこで、カテーテルを心室中隔欠損部付近から引いたところ右現象は収まつたが、再びカテーテルを大動脈に入れようとすると同様の現象が起こつた。このようなことを約三回繰り返した後、不整脈が悪化する可能性を考慮し、カテーテルを直接に大動脈に入れることを断念した。

そして、一度カテーテルを隆弘から抜き取つた後、右股動脈に前同様の操作をして(ただし、動脈を通すカテーテルは細いものが望ましいため、今回は最大六フレンチサイズまで使用可能のシースを利用し、同サイズのカテーテルを挿入した)、股動脈から大動脈を遡つてカテーテルを心臓付近にまで進め、上行大動脈において圧力測定、血液採取をした。その後、カテーテルを大動脈から左心室に入れようと試みたが、容易に入らなかつたため、これを断念した(左心室の情報を得るには、より細いカテーテルを使用する方法があるが、左心室の情報は是非必要なものではなかつたし、カテーテルの再度挿入に時間を要するので、行われなかつた)。次に、大動脈自体の形態観察や、冠状動脈奇形の有無の確認などのため、大動脈に造影剤を注入して撮影が行われた。この際には、まず、一ないし二ミリリットルの造影剤を注入し、蕁麻疹などの異常の有無を確認するテスト造影が行われ、その結果異常がないことを確認してから造影が行われた。

その後、カテーテルは大動脈から抜き取られ、再度、右心系の造影を目的とするカテーテルが行われた(造影剤注入は、注入時の圧力や浸透圧の関係上、血液の流れや圧力に変動を生じさせることがあるため、圧力測定や血液採取の直後に行われるのが望ましいため、大動脈へのカテーテルの後、再度股静脈のシースを利用してカテーテルを挿入する方法により行われた。ただし、今回利用したカテーテルは、造影剤の注入速度を速くしてもカテーテル側孔から出る造影剤が速くならず、容易な注入が可能となるよう、七フレンチサイズのカテーテルが使用された)。カテーテルを右心室に入れたところ、その先端は流出路付近の方を向いた。ところで、カテーテルの位置については、一方で、造影剤を流出路狭窄部付近に注入すると、細い場所にカテーテルが入ることによる発作等の幣害が生ずるおそれがあり、他方で、造影剤を右心室の心尖部に注入すると、造影剤が心室中隔欠損部を経由して大動脈方向に流れ去るおそれがあるため、いずれの弊害も生じないよう、カテーテルの先端を右心室の心尖部と流出路の中間付近に停止させ、レントゲン透視下にカテーテルが心臓内壁に接していないことを確認した。そして、テストのため、手動により、まず造影剤二ミリリットルと生理的食塩水四ミリリットルの混合液を注入し、次に生理的食塩水五ミリリットルを注入し、いずれの場合も心電図上に異常がないことを確認した。その後、器械により造影剤二〇ミリリットルを毎秒一三ミリリットルの割合で注入した(この速度は、右心室内に注入した造影剤が心室中隔欠損部を経由して流出することや、カテーテルの太さ、カットフィルムで撮影上の必要性を考慮して決定された)。

(五) 右造影剤注入の際、隆弘に心室性期外収縮が二拍生じたが、このようなことは心臓カテーテルによる造影検査時に見られることが少なくなく、直ちに異常と判断できるものではなかつた。

撮影後、カテーテルの位置確認のため、隆弘を透視下で観察したところ、右心室流出路付近に造影剤が残留しているのが認められた。造影剤は通常、血液とともに流出するはずであるから、右残留液は、造影剤が心臓の筋肉内へ壁内注入されたものであるか、又は、カテーテルの先端が心臓の内壁を穿孔し、そのため、心臓内の造影剤が心嚢内に流出したものであるかのいずれかであることが疑われた(仮に穿孔であつた場合、カテーテルを心臓から抜くことによつて穿孔部を通じて心臓内から心嚢内への出血が生ずるおそれがあり、心臓外科と連絡をとる必要性もあつた)。

そこで、透視下で隆弘の心臓を子細に観察したところ、心嚢内の造影がわずかに認められるものの、明確には認められないことが明らかとなつたが、仮に穿孔であれば血液や造影剤が心臓内から心嚢内へ流出して心嚢内に溜まる現象(心タンポナーデ)が生じ、心嚢が明確に造影されるはずであつた。また、カテーテル中に残留していた造影剤若干量を押し出してみたところ、やはり心嚢内への造影剤流出は認められず、心筋内への流出が認められるにとどまつた。以上の事情から、右事態は穿孔やこれに伴う心タンポナーデではなく(心嚢の右造影状況は造影剤が心嚢内に滲み出したものと判断)、単なる壁内注入である(その原因としては、造影剤注入速度が速かつたためカテーテル先端が動き、右心室内の凹凸の多い部分に入つたまま動かない状態となつたところで、造影剤の注入が続けられたものと判断)と考えられた。

その後、カテーテルや心電図により血圧異常その他ショック症状がないことを確認し、他方、心臓内の造影剤の状況確認のため撮影されたカットフィルムを至急現像し、読影しても穿孔の認められないことが確認されたため、カテーテルを抜去し、検査冒頭に投与したヘパリンを中和する硫酸プロタミンを注射した。

(六) 右事態に対し、隆弘のショック症状を予防するため、副腎皮質ホルモンを注射し、念のため心タンポナーデの有無を確認するため、その場合に生ずる症状である血圧低下があれば早期に発見できるよう血圧の観察を続け、血圧低下に備えて必要な薬剤を用意した。しかし、血圧は右投与された薬剤の作用の範囲内のもので、心電図にも異常はなかつた。 そして、後に輸液を行うことが必要となつた場合に備え、輸液が心臓付近に早期に達するよう、長い血管内留置針を右股静脈に入れ、この状態のまま、一一時四五分ころ、隆弘を病棟の看護婦詰所付近の監視の行き届く病室に移した。

(七) 帰室後の隆弘はチアノーゼが通常よりやや強く、血圧が低かつたが、これらは心臓カテーテル検査後のファロー四徴症患者として異常なものではなかつた。しかし、右(六)の経緯に鑑み、酸素テント内に収容し、血圧測定、心電図モニターを利用して経過観察を続け、胸部レントゲン写真撮影も行つた(右撮影結果でも、心タンポナーデ症状である心拡大などは認められなかつた)。

しかし、一二時二五分ころ、心電図に、心臓筋肉の一部に酸素供給異常があることを窺わせる波形が現れ、やがて徐脈となつた。そのため、心臓マッサージや酸素マスク装着を行つたが、なお、効果が認められなかつた。そこで、心臓マーサージの効果を十分なものとし、あわせて穿孔による心タンポナーデの有無を念のため一度確認し、仮にタンポナーデであれば心嚢を開いて溜まつている液を取り除き、さらに、外科的に可能な対応をとるため、隆弘を開胸することとした。そして、被告病院ICU主任医師の訴外原田昌範らにより開胸がなされ、心膜を開いたところ、間もなく、心拍、心電図波形とも回復した。開胸時、心膜内(右心室流出路付近)には、約二〇ミリリットルの血液のような液体が溜まつていたが、心拍、心電図波形などに鑑み、ガーゼで溜まつていた液を取り除いたほかは格別の措置をとることなく、隆弘の胸を閉じた。その後、ICUへの転床を準備していたところ、心電図の異常、徐脈が現れた。そこで、閉胸、開胸の心マッサージ、薬剤投与、電気ショック等を試み、ICUに転室させて治療を加えたが、回復せず、一〇時三三分に隆弘の死亡を確認した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3  原告らは、本件検査に際し、カテーテルの先端が隆弘の右心室(流出路付近)を穿孔し、これにより、隆弘に心タンポナーデが生じた旨主張するところ、なるほど、《証拠略》によれば、被告病院における内部文書中には、本件検査に際しカテーテル先端による心臓内壁穿孔があつたかを示唆するものがあり、原告らも本件検査後、清水医師など被告病院関係者から本件検査に関する事情説明を受けた際、隆弘の心臓のうち、本来ならば刺激されるべきでない部分がカテーテル操作により刺激されたか、あるいは、カテーテル先端による心臓内壁穿孔があつたかも知れないとの発言を聞かされたことが認められ、右事実に照らすと、本件検査後の状況につき、西畠、清水両医師その他病院関係者ら間でも、穿孔、心タンポナーデが生じた可能性もまつたく無い訳ではないと認識していたことが認められる(証人原田昌範、同西畠信、同清水隆の証言も右に反する趣旨とは解されない)。しかしながら、前記2の認定事実、すなわち、検査中の透視、撮影に際し、仮に穿孔であれば心タンポナーデのため心嚢が明確に造影されるはずのところ、心嚢内では造影剤がわずかに認められたにとどまり、明確には認められなかつた(造影剤が心嚢内に滲み出したものと考えられる程度にとどまつていた)こと、両医師がカテーテル中に残留していた造影剤若干量を押し出しても、やはり心嚢内への造影剤流出は認められず、心筋内への流出が認められるにとどまつたこと、病室帰室後の胸部レントゲン写真撮影結果でも、心タンポナーデの症状である心拡大などは認められなかつたこと、開胸して心膜を開いたところ、心膜内(右心室流出路付近)に液体が認められたものの、その量は約二〇ミリリットル程度にとどまり、液の量、色などに照らしても、心臓内の血液が穿孔部経由で流出したものというより、浸出液に近いと認められるものであつたこと、その他、両医師の本件検査経過の中に穿孔の可能性のあることを窺わせる点を見出し難いことなどに照らすと、被告病院関係者らの前記認識をもつても、本件検査により穿孔、心タンポナーデが生じたと認定するに十分でない。その他、この点に関する原告ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。四 以上を前提に、被告の責任(請求原因5)につき検討する。

1  請求原因5(一)前段の事実(原告ら、被告間の診療契約、西畠、清水両医師の身分等)は当事者間に争いがない。

2  請求原因5(二)(カテーテルの操作により心臓内の中隔壁等を刺激、穿孔した過失)について

原告らの右主張は、カテーテル操作により隆弘の心臓に穿孔、心タンポナーデが生じた事実を前提とすると解されるところ、右事実は前記三3説示のとおり、これを認めるに足りる証拠がない。したがつて、原告らの右主張は、この段階で失当である。

なお、本件検査における両医師の措置は前記三2(一)ないし(五)のとおりであり、ファロー四徴症の患者である隆弘に心臓カテーテル術(これに伴う血管内造影術を含む)を行つたこと、検査時期の選択に不相当の点はなく、また、検査自体についても、両医師は、十分な検討会を経て検査に臨んでいること、カテーテルの身体への挿入方法にも危険な点はないこと、カテーテルを進めて検査を行う部位を選択する際には、検査に伴う危険性と検査により得られる情報の価値(それが将来の手術に及ぼす貢献度)を考慮し、たとえば、上大動脈、右心房、右心室や、大動脈の検査は行つているものの、右心室流出路から肺動脈に至る部分や左心房、左心室の検査は控えており、大動脈の検査に際しては、当初はカテーテルを心室中隔欠損部から入れることを試みたものの、これが困難であるとわかると、直ちに他の方法を考えるなどしていること、カテーテルの操作時には、透視下での観察や心電図異常の有無を確認していること、造影剤注入に際しても、透視下でカテーテル先端部の位置を確認し、テスト注入をして異常のないことを確認した上、隆弘の体重、疾患の性質、写真撮影上の制約等を考慮した量、速度で注入を行つており、それに不相当の点は認められないことなどに照らすと、両医師の検査方法には、カテーテル操作や造影剤注入上過失のある点は認められない。

3  請求原因5(三)(救急処置を怠つた過失)について

本件検査における隆弘の容態は前記三2(五)ないし(七)のとおりであり、原告ら主張の程度に悪かつたと認めるに足りる証拠がない。したがつて、原告らの右主張は、この段階で失当である。

なお、本件検査後の両医師のその他被告病院関係者らの措置は前記三2(五)ないし(七)のとおりであり、両医師としては、隆弘に対し、異常が生じた後直ちにショック症状を予防する注射をなし、血圧観察下に、血圧低下に備えた措置を用意し、輸液ルートを確保したまま隆弘を移床し、病棟においても、看護婦の監視等に配慮し、酸素テント収容、血圧測定、心電図モニターによる経過観察を行い、病状が悪化した後には、直ちに閉胸、開胸マッサージを試み、心嚢内の液を除去し、再度の病状悪化に際しても、心マッサージ、薬剤投与、電気ショック、ICUにおける治療を加えたものであつて、可能性として考えられていた心タンポナーデについても、透視下で右心室流出路付近の残留造影剤を発見した後直ちにその状況を確認し、カテーテル中の残留液を押し出すなどして心タンポナーデの有無確認に努めるとともに、造影剤の状況等を撮影したカットフィルムを至急現像するよう手配するなど、また、病室においても胸部レントゲン写真撮影を行い、病状が悪化した後も心嚢内部の状況確認をするなどしており、各時点における隆弘の症状に応じた対応を怠つた過失はない。

五  以上の次第で、原告らの請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 金子直史)

裁判長裁判官根本久、裁判官小池裕は、いずれも転補のため署名捺印できない。

(裁判官 金子直史)

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